D5300を買ったあとで初めて耳にした言葉に「RAW現像」というのがありました。
昔写真をやっていたとは言えデジタル写真に関してはほぼド素人なわけで、「フィルムも使わないのに現像?」「そもそもRAWってなによ?ファイル形式?」なんてレベルなわけです。なのでネットでRAW現像についてアレコレ調べたわけですが、調べてるうちに「JPEG撮って出し vs RAW現像」って論争があることを知りました。今日はそれについて考えてみようと思います。




そもそもどんな論争なのか

ある時写真を撮ってると他の撮影者に話しかけられた。話してるうちに写真の保存形式の話になり「JPEGで撮って出しできる写真こそ写真」「RAW現像はズルい」「後で編集した写真はイカン」などと言われた・・・・どうもそういうことが発端になってるようです。

最初にわたしの立ち位置を明記しておきます。
わたし的にはどっちでもええじゃないかと思ってます。というか、なんでこんなことで論争してるのか、という感じでしょうか。自分がいいと思ってる方で問題ないでしょう。

こう言ってしまうと話が終わってしまうので、もう少し掘り下げてみます。

フィルムカメラの時代は

ある方の考察に「どうもJPEG撮って出し派の人はフィルムカメラの時代から写真をやってる人が多いように思える」というのがありました。

なるほど。なんとなく解る気がする。

フィルムを使っていた時代だと、シャッターを切った時点で写真が決定されてしまうようなイメージがありましたな。後で編集できないから記録や証拠としての価値もありましたし(特にリバーサルフィルム)、多くの人は写真屋さんにフィルムを現像に出してプリントされた写真を受け取ってましたから、自分で現像したりプリントしたりってことを経験したことがない人も多いですし。なので、事前にライティングに気を遣ったり露出やフィルターワークに気を遣ってたりしてました。
いわゆる撮影技術ってところに重きを置くって感じでしょうか。

でも、自分で現像してプリントして…をやったことがある人なら「現像の時にもプリントの時にも自分好みの写真にするためにアレコレやってたよねぇ」と思う人も多いでしょう。
フィルムの現像でも、D-76(現像液)を1:1希釈で使うとかメトール単液使うとか、わざと温度を上げるとか、増感してみるとか、色々してました。
プリントするときにも焼き込み覆い焼きは当たり前(というかこのステップを通らない写真なんてほぼなかった)でしたし、プリント後はゴミを消すためにスポッティングしてましたし。
いわゆる暗室技術ってやつですな。

こう思い出してみると、別にシャッターを切った後で何もできないわけじゃなくて、自分が欲しいと思う最終形態に近づけるために、シャッターを切る前もシャッターを切った後も努力してたわけです。

昔の写真の撮り方

わたしが専門学校の学生の時に学んだ写真の撮り方…というか写真を仕上げるまでの工程は、こんな感じでした。あまり細かく書いても仕方ないと思うので、大雑把に書いてみます。

街中でスナップ写真を撮る時だと、
被写体を見つける→シャッターを切る→現像する→ベタ焼きを焼く→選ぶ→プリントする→仕上げ

スタジオなどで、最終イメージが決まってる写真を撮る時だと、
見てもらうためのプリントサイズを決める(鑑賞距離を決める)→フィルムを決める→ライティングを決める→(リバーサルなら色温度をチェックする・必要ならフィルター)→ポラを引いてチェック→シャッターを切る→現像する(リバーサルの場合はラボに出す)→ベタ焼きを焼く→選ぶ→プリントする→仕上げ

どちらにしてもシャッターを切った後にも工程がありますな。スタジオでリバーサル使ったときはラボに出しますが、ラボ側でも多少は意を汲んでくれるところもあったようです(あ、有名なお得意様の時の話ですよ。ビンボー学生は恐れ多くてそんなこと頼んだことはありませんでしたが)。

…昔の写真の撮り方なんて言っても、今もあまり変わってないですね。
「ベタ焼きから選ぶ」の部分は「サムネイルで表示して選ぶ」になっただけですし。敷いて言えば「現像する」の部分を「カメラがやってくれる」ってところは変わってる気がします。

「光画」という考え方

こう見ていくと「後で色々いじれるRAW現像するはズルい」というのは的を射てないように見えます。自分が表現したいものに少しでも近づけていくための努力という意味ではシャッターを切る前でも切った後でも同じですから。

写真の編集については…ムズカシイですね。どこまで許容するかは個人の判断になると思います。例えば、空全体を別のものに置き換えてしまうと「これはもうコラージュとかモンタージュになるのでは?」なんて思えます。まあどちらにしても写真の表現方法のひとつです。

思うに、19世紀半ばに西洋から「そこにあるものの姿形をそのままの姿で写し取ってしまう魔法の箱」が日本に入ってきた時に「写真」という言葉を付けたこと、その言葉から受ける「真を写すものである」という印象に起因するのでは、と思ってしまいます。
Photograph という言葉の語源は Photo(光)+ graph(画)ですから、直訳すると「光画」とか「光で描いた画」となります。日本語の「写真」ではなく「光で描いた画」と考えれば、どこまで編集するかは描いた人の裁量で良いんじゃないかと思います。絵画の世界にも写実主義やロマン主義、印象派、キュービズムなど色々な活動があり、それを見る私達の側にもそれこそ十人十色の意見や好き嫌いがあります。それで良いんじゃないかな、と思うのです。

自分が満足できてるかどうかが大事

結局の所、JPEG撮って出しだろうとRAW現像しようと、自分が満足できるものができてるかどうかにかかってるんじゃないかと思うのです。
JPEG撮って出しで満足できるものが撮れてればそれで良し。RAW現像までやらないと気がすまないならそれで良し。自分が満足できるものが撮れてるなら他人がどっちだろうと関係ないことですし、そもそも論争するようなことではないと思います。

「露出とかよくわからないんですよねーなんかいい勉強の仕方ないですかねー?」と聞かれた時に「オート使わずにマニュアルで、しかもJPEGで、ある程度自分が納得できる感じに撮れるようになるまで頑張ると良いかも」みたいなアドバイスをするならアリかな~?と思いますよ。


ちなみにわたしはRAWで保存してます。JPEG+RAWって保存もできるんですけど、SSDの容量がもったいないから。RAW現像も結構好きですしね。
それと素朴な疑問なんですが、なんで非可逆圧縮のJPEGなんでしょ? 厳密にはTIFFの方が再現には向いてるんじゃないかな?と思ってしまうのですが。

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